呉同済義会

(事務局)

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呉同済義会の歴史

     

 大正年間に入ってからの日本国内の社会情勢は、第一次世界大戦の影響を受けて、国民生活が環境面、経済面をはじめとして全ての点で厳しく、かつ、苦しい状況にあった為、即時、改善に向けての対応が求められた時代でした。  特に、大正7年に富山県で惹起した米騒動の影響は全国的に波及し、呉市においても死者が出るなど大変な事態となった為、海軍が出動するなどして、どうにか収まった経緯がありますが、当時の市民生活の困窮さが伺い知れる大きな事件でした。  このような状況を目の当たりにし、当時、呉市長であった天野健太郎氏は大正9年、窮民の救済事業を早期に実施することにより、安寧秩序を図らんとし、前呉市長であった澤原俊雄氏に師事のうえ協力を求めました。  その結果、「社団法人呉同仁会」を設立しこれに当たりましたが、「同仁会」の名称が他にあったことから、急遽、名称を「呉同済義会」に改め、大正10 年2月1日に社団法人として設立を申請し、同年6月16 日正式に認可を受け、初代会長に澤原俊雄氏が就任いたしました。  当時の事務所は、呉市役所内に設置されると共に、早速、福祉事業の推進に向けて企画立案し、その実践に向けて鋭意努力してきたところで、市民の期待は並大抵のものではなかったといわれています。

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 しかしながら、運営面においては呉市の当時の財政状況から、充分な補助金等仰げる段階でなく、篤志家による善意の寄附金等に頼らざるを得ない状況でしたが、このままでは資金調達面においても限度があり、また施策の実践上、暗中模索の状態が続く等、その労苦は筆舌に尽くし難いものでありました。  そうした中にあっても、法人の理念である「困っておられる方のお世話をさせて戴く」ことについては、いささかの揺るぎもない信念のもと、当時の法人役員全てその叡智を絞って対処してきました。  厳しい法人運営を続ける中で、特筆すべきことの一つとして、会長最愛のご子息逝去にあたって悲嘆の中にも拘わらず、奉呈された香典をそのまま法人に寄附されたことは、多くの人々の感動を呼び、いまだに、法人にとって、その報恩の念は消えることはありません。  この行為が香典返し寄附金という儀礼の際においての「日本文化の美風」として、爾来、長く続くことになりました。現在、それも薄れてきている風潮となり、日本文化の変遷の中を大変憂慮していたところでありますが、その後、歴代会長の中のお一人について、ご遺志に基づき、ご家族より奉呈された香典をそのまま法人に寄附されたことは、記憶に新しいところであり、このことについても、報恩の念、いまだに消えることはありません。  昭和27 年、「社団法人呉同済義会」から「社会福祉法人呉同済義会」としての認可を得て、事業の更なる拡大発展に望むところとなりました。  事業推進に向けて実践する為には、施設の増設は当然のことと理解はしているものの、一定割合の公的な補助金だけでは、到底、実現出来るものではないことと併せて、事業実施に当たる職員に関わる人件費の捻出等、当時、並大抵ではない労苦がつきまとったのであります。  このことに関わり、役職員一同、法人の緊急課題として、その叡智を絞った結果、昭和55 年の理事会において、有識者における賛助会員を募集の上、会費を徴収し、法人運営の一助にしてはどうかという提案があり、全会一致のもとで承認され,早速、役職員が各種団体にもお願いし、多くの人々の賛同を得るところとなりました。  現在もこの制度は引き継がれていますが、時代の変遷や、古来の日本人の道徳観の変化に伴い、法人会員が激減していることに対応する施策が懸案となっております。 現在、わが国を取り巻く社会情勢は大変厳しい動きがあり、特に社会福祉分野への対応も厳しいものが感じられます。その中にありましても法人としては、地域の縁と世代を超えた交流を生み出す工夫を醸し出す媒介機能を発揮していくことが、課せられた使命であるとし、これまで以上に努力を傾注していきたいと考えております。